「生命は、この地球上にどのように発生したのか‥・.これについて私たちが言えることは、ただ次のことである。」
アルパート・ハワード卿は、植物の生きる仕組みについてこのように述べています。
以下、引用させていただくと、
「生命をもたらすエネルギーの源は日光であり、このエネルギーを捕らえ、変換して利用する装置は緑の葉である。自然が創り出したこの小さな素晴らしい仕組 みは、複雑な構造のバッテリーのようなものである。緑葉中の内部の各細胞は、葉緑素という微小粒の物質を含んでおり、植物を成長させているものはこの葉緑 素である。緑葉中の葉緑素は、太陽エネルギーを捕らえる能力があり、いわば機械を運転する動力装置である。緑葉は、自然界にある多様な資源から簡単な原料 を引き出し、それらに作用し複雑な化合物を作り上げる。」
以上の話は、皆様もよくご存じの光合成です。
太陽エネルギーを捕らえた緑葉が、炭酸ガスと水の力を得て瞬時に澱粉や糖分という栄養素にかえてゆくという素晴らしい仕組みです。
前回のほうれん草の話では、この光合成を活発にしていくためにほうれん草自身の働きについて述べさせていただきましたが、このような植物がもつ自然の営み を、より活発にしていくベースが、健康で肥沃な土壌作りであり、またそのために肥料の与え方等様々な農業技術というか農業のやり方が存在するわけです。
農業とは、そもそも自然そのものの姿ではありません。もっとも初期の農業の形態は「採取」という単純な方法であり、大自然の中で実りが成熟するのを待っ て、自分自身、あるいは家族の為に収穫したものです。その後人間が種子の発芽現象を観察して、種子を大地に播種するという認識に到達した時に農業が始まっ たといわれています。
集めた種子を残し、蓄えたものを最初に手近な裸地にまく。さらに栽培面積を広げるには森林を開墾するのが便利なことがやがてわかってくる。次の段階には、 こうして自分のものにした土地を整えることでした。この、土地を耕すという考え方をもったことが、人類の成功であり、すべての真の文明の基礎であるといわ れています。
なぜなら、人類が獣や魚を獲るといった狩猟の手法に、植物を栽培するという手法を加えるまでは、未開の生活様式から抜け出すことができなかったからです。
アフリカやニューギニアなどで一部の未開種族が、昔ながらの狩猟や採取という生活様式で暮らしている姿をテレビなどで見ることができますが、彼らが土を耕 すという原理を修得できなかったことが、今なお生活様式を未開のものとし、進歩させていない理由と思われます。
その後、土地を耕す技術は何世紀にもわたって進歩しつづけました。先の尖った棒を引っ張って人力で地面を鋤く方法から、やがては動物のたくましい筋力を利用する方法が一般化し、そして現在では強力な機械というものに変わっています。
このように、土地を耕すということは、今日においても主要な農業の過程なのです.
さて、耕すということの目的は何であったか。
その第一の効果は、もちろん物理的なもので、ふかふかとした土壌は種子にゆとりを与え、種子はそれによって充分に生育することができます。また一方、覆土し、踏圧することは、鳥や昆虫の害から種子を護るためのものです。
第二の効果としては、土を空気にふれさせることによって土壌の呼吸作用が始まり、続いて有機物の硝酸化成と可溶佐硝酸塩の生成がはじまり、雨もまたよく浸み込むようになるわけです。
このように、物理的、生物的、化学的効果が現れはじめることにより土壌と作物の連帯によって活発な生理学的変化と質的変化が起こり、土壌は栄養物質を生産し、作物は成長し、収穫ができるということになります。
健康で生命力のある作物を育てるためには、このように大地を耕して豊かで肥沃な土壌を作らなければなりません。しかしそれは、ただ耕せば良いという簡単なものでもありません。
土壌の物質性、生物性、化学性という3つの要素を土壌の中に作り出さなければ、豊かで肥沃な土壌とはならないからです。
今回は少し専門的な話となって恐縮ですが、地球人倶楽部の考える有機栽培、また土壌づくりについてできるだけ解りやすくお話をして参りたいと思います。
1つは、土壌の物理性ということです。これは具体的には、土壌の中の土と水と空気の割合がどのような関係になるかということです。豊かで肥沃な土壌は、と ても柔らかくてフカフカとしていて手を土の中に差し込むと、すーっと入っていきます。この状態は、土壌の中に団粒構造が存在していることを証明しているも のです。微小な1つ1つの団粒がひしめきあった土の塊は、水と空気が適度に存在している、非常に良い状態といえるのです。
2つめの生物性ということは、言い換えれば土壌の微生物性ということで、様々な有効微生物が土壌の中にたくさんいるかいないかと言うことです。今シリーズをお読みになっていただいている皆様はすでによくご存じのように、土壌は生物で満ちあふれているのです。
土壌は、死んだ不活性な塊ではなく、生命が躍動しているのです。生きている菌類、紬菌、
原生動物が土壌の中の常住者として自分自身の生活を営んでいるのです。
有機肥料が腐植し、何百万というこれらのバクテリアに栄養を与え、それらの遺体をタンバク質の微小粒とし、土壌の中に密にばらまき、それらはさらに他の土 壌生物によってしだいにいっそう単純な物質に分解され、根から吸収され、植物の緑葉の中で使われるのです。
このようなことを菌根の共生というわけで、有機栽培において最も重視するところです。
化学農業は、この生物性、菌類の共生を軽視した所に大きな問題点があると私は思います。
3つめの化学性ということは、土壌状態がプラスイオンかマイナスイオンなのかということをチェックしていくことです。化学農業のこれらについての考え方 は、例えば土壌の中に窒素分が少ないと窒素肥料を投入する。土壌が酸性になっていると石灰をいれて中和する。また、ケイサンが不足している土壌には改良剤 を投入する、といったそれぞれ土壌に不足していたり良いと思われる化学肥料を土壌に投入していくという、あくまでも対症療法的農法が行われているわけで す。このような農法は、確かに土壌の中の化学性ということについては多少有効ですが、土壌の物理性、あるいは生物性ということがなおざりにされていること になり、土壌の中にバランスを失ってしまう結果になるのです。
有機農業とは、正に以上のような3つの面を土壌の中にバランスよく作り出すことなのです。この3つの輪が重なった土壌にするためにはどうすればよいかを考えて努力している農業なのです。
有機農業は有機肥料を土壌に提供することにより、土壌の中に住んでいる様々な微生物などにより腐食化が進むことで、土壌が必要とする3つの輪を自然が理屈 ぬきに自らの力で作り出してくれるのです。先にお話をした化学農業のように、土壌の中に余分なものが入ってくると、このような自然の生態系が瞬時に壊され てしまい、土壌はその働きをストップさせてしまうのです。
アルバート・ハワード卿は、自然の営みの中で行われる農業について、以下のように述べています。
「自 然は、創造したものを破壊するときには、最初にそれを作り上げたときと同じように、細心で、注意深いが、惜しむことを知らない。葉は枯れ落ち、小枝は風に 折られ、樹木の幹でさえ倒れて横たわり、微小な植物や動物たちに徐々に食い尽くされる。やがて微小な動植物も死に、その死体は菌類や細菌類の作用を受け る。これらも死ぬと、他の廃棄物と同じように集積する。そしてミミズやアリがこれらの地上に集積した腐食物を運び去る。この集積された蓄積物→腐食までの ことは、植物の生命、従って動物の生命、私たち人間の生命のはじまりである。そのような仕組みこそ、まさに研究すべき価値がある。それは、すべての農業の 基礎であり、還元の法則という語句の中に要約できる。」
以上のように、大自然の力を借りて行う有機農業の本質は、腐食の製造と蓄積に捧げる配慮であることがおわかりいただけたものと思います。
偉大な大自然が行う自然の営み、それは還元の法則という原理が根底にあるのです。
工業化社会の発展は、私たち人類に損益勘定を優先する方向に導きました。
農業の世界にもこれらの考え方は導入され、自然の原理は無視され、捨てられたのです。
それは、土壌の健康と作物の健康、ひいてはそれを食する動物や人間の健康を無視し、捨てたことと等しいことと言えるのではないでしょうか・・・。