ティグリス・ユーフラテス両河の流域に開花した、世界最古のメソポタミア文明をはじめ、大河川の河口デルタ上の肥沃な耕地を基盤として繁栄した大部 分の古代都市文明を崩壊に導いた主因は、「外部からの侵略」にあると伝えられています。が、ごく最近、その真因は、「人ロの急膨張を続ける古代都市が、必 要とする穀物等の基本的食糧を確保し、生産を続けることが不可飴になったこと。つまり、基本的食糧を確保するという目的で、周辺農地で集約的な潅漑農業を 長年にわたり強行したために湧出した塩類により、土壌が枯渇してしまった」ということが、実証的に現地調査によって明らかにされました。
メソポタミアを繁栄に導いたのは、ティグリス・ユーフラテスの大河が運んでくる肥沃な大地と豊かな森を背景とする農業力でした。
運河を掘り、用水路をつくり、ユーフラテス川から水を引く大規模な潅漑事業を国家事業として展開し、塩害を引き起こさないよう厳密なコントロールを行って いました。しかし、人口が増えるに従い農地や居住地を求めて人々は上流の森林を開拓するようになったのです。
これが豊かな土地の荒廃のはじまりでした。森林伐採によって土砂が流出し、洪水がひんばんに起こり、ついには土壌に蓄積された塩分によって土が劣化し、麦などの作物が生育農業の発展によって栄えた文明は、表土破壊による農業の衰退によって消滅しました。
徹底的な森林の破壊、自然の生態系を無視した結果、巨大な廃墟と荒野だけが残ったのです。インダス文明もエジプト文明あるいは、黄河文明も同じように人口 増加にともなう自然破壊によって衰退しました。森林や土地から奪えるものはすべて収奪し、その結果、表土流失と砂漠化によって不毛の地と化し崩壊していっ たのです。生態系の基盤である表土を徹底的に破壊してしまったことが、文明を末路に導いていったのです。
余談になりますが、お隣の北朝鮮でも最近しきりと食糧危機、あるいは洪水被害などが伝えられていますが、私の推測するところでは、人口の増加に伴う食糧の 大増産、農地の拡大、森林の伐採、そして洪水、土砂の流失、土地の荒廃、塩害、結果として先にお話をした古代文明崩壊のシュミレーションに入ってしまった のではないかと心配しているところです。
紀元前2000年前に繁栄したメソポタミア文明の農業問題を持ち出すまでもなく、現在の農業も多くの問題をかかえています。特に、世界的な農地の砂漠化は 大問題で、世界のパン籠といわれるアメリカでも深刻な問題となっています。1981年に発表された「アメリカの砂漠化」という報告書によれば、「80年代 初頭には、すでにアメリカ全土の10%にあたる2億5000エーカーの土地が深刻な砂漠化現象を起こしている他、その2倍近くの面積が現在砂漠化の危機に 瀕している」と報告されています。
土壌の砂漠化がどのようにして起こるのかと申しますと、地下水位の低下、表土および地表水の塩類集積、地表水の減少、土壌侵食、並びに土着植物・生物の減 少という5つの兆候が相互に絡み合って生じるのです。そしてこれらの兆侯の中で、特に顕著に進行しているのが土壌の侵食、地下水位の低下、および塩類の集 積です。この中でも先にお話をした古代文明にもでて参りました「塩類の集積」というものは、潅漑農業(農作物を作るため田畑に必要な水を人工的に引いて行 う農業)を長期にわたって縦続させる場合には、さけることのできないうつつもう現象といわれています。
温帯のモンスーン地域に位置するわが国の場合は、火山同化物を主体とした土壌(黒土)等は非常に水捌けがよいため、専門家たちの間では「日本では耕地にお ける塩害集積は起こり得ない」と考えられてきましたが、化学肥料等の多投に起因した塩類集積が今、全国的に頻発するようになっています.
ここで「塩類集積」がどのように発生するのかを簡単にご説明すると、大量の潅漑用水を乾燥した農地に流しますと、これらの水は一旦地下に浸透して岩盤等の 耕地の底部に到達しますが、ここで地中に存在している可溶性塩類(岩塩)を溶かした後に、毛細管現象によって再び地表まで上昇するわけです。そしてこのよ うな塩を含んだ水が太陽に熱せられ蒸発すると、塩分だけが地表あるいは地表近くの土中に集積して作物の生育に大きなダメージを与えるのです。肥沃で豊かな 分厚い層の上に作られた農地は、水が地中深く浸透していっても水捌けがよいので毛細管現蒙として塩分が地表まで達せず、そのまま地下に流れたり、地表まで 上ってくる途中で分断され、塩類集積といった現象は起こらないのです。
長期にわたっての化学肥料多投型の農業は、「無数に存在する土中生物間の生態系の原理」に支えられた土壌生命力を消耗させ、結果として土壌はやせてしまい、保水力を失い、やがては塩類障害を発生させてしまうのです。
1990年7月27日、アメリカ上院は「有機農産物に関する国定基準」という法案を賛成票70票反対票21票という大差で可決し、その数日後の8月1日下 院議会において、賛成327票、反対91票という圧倒的な支持を受けて可決に至りました。この「有機農産物に関する国定基準という法案の内容は、アメリカ の国としての基本農政を従来の化学肥料多投型の農業から有機農業へと大転換させるという画期的なものでした。
アメリカで有機農産物に関する国定基準が制定された8ケ月後の1991年6月には、EU、(ヨーロッパ連合)でも「有機農産物に関する域内統一基準」が制定されました。
このように欧米諸国は、時を同じくして1940年代より本格化し、現在まで続けてきた化学物質依存型農業方式に対して厳しい反省とこれに基づく有機農業重視に向けた転換を国として推進しているのです。
わが日本における農業政策も一日も早い有機農業への転換を望むものですが、まだまだその様な情勢にはないようです。それは、国だけに問題があるのではなく、生活者一人一人の意識が農業に対して著しく低いという問題でもあるからです。
アメリカやヨーロッパ諸国の政府を動かしたものは、国民一人一人の農業政策に対する強い関心でした。自分たちが食しているものが、健康というものとどのよ うな因果関係があるのか。また、子供たちの健康というものに対して農薬や化学肥料がどのような悪影響を与えているのか。さらに農業そのものが環境汚染源と なっていることに対する強い関心でした。
これら様々な関心や問題が公的機関を通じて実証的な調査結果となり、次々とマスコミを通じて広く国民に知らされることにより、政府も農政転換へと動いたのです。
何も知ろうとせず、誰も語らない日本有機農業は消費者団体や環境保護団体、あるいは少し変わった一部の人間がやっているというレベルでは何も変わることは ないのです。 21世紀を迎えようとする現在の文明を持続させていくものは、科学でもコンピューターでもありません。それは、肥沃で豊かな土壌を後世に 残していくことに他ならないのです。