第3回 有機農業について「有機と科学の分岐点」

2009年11月05日

第1回「4つの環」、第2回「循環」と有機農業についての基本的な考え方を話して参りましたが、今回は少し角度を変えて有機農業を考えてみたいと思います。このシリーズが自画自賛の一方的論理で終始することは、まずもって避けなければなりません。山も見る場所、立つ位置により姿形が違うように農業に ついても同じことが言え、色々な考え方・見方の片鱗をご紹介してゆくことが私の役割であると考えております。様々な角度から農業を語ることで、最後には皆 様お一人お一人が様々なご意見をもたれてご判断していただければと思っております。

 「有機農業は生命否定の農業である」。有機農業を語る者は、必ずこのような意見を拝聴することになります。増収増益が期待できない、手間(労働力)がかかり過ぎてやる人がいない。有機農業では人類は食べてゆくことができない等々です。

  1840年、化学農業のパイオニアといわれるリービッヒが英国協会へ寄稿した論文「化学の農業への応用」は、大きな反響を呼び化学農業の出発点となりました。以来150年にわたり、農業の主流として発展を続け今日に至りました。人類はこのことにより農産物の飛躍的な増収という大きな果実を得ることができた のです。化学農業が急速に発展したのは、当時の社会情勢、農民の生活苦、また、第一次世界大戦による食料不足などの背景もあったようですが、いずれにして も化学肥料は大量に製造され浸透していったのです。
リービッヒが発見した化学の農業への応用の考え方を簡単にご紹介致しますと、植物体を焼いて後に残った灰を分析することにより、植物が吸収したとみられる 成分を明らかにし、その成分を大地に戻せば、植物が育つための栄養を強化することができるという原理です。
 リ一ビッヒが発見した成分は、葉部の増加に顕著な効果がある「窒素」であり、今一つは土壌の無機成分の蓄積量を増やす「カリ」と「燐酸」でした。窒素の 化学記合はN、カリはK、燐酸はPですので、化学農業信奉者のことをNKP信奉者と呼んでいる人もいます。
焼けた灰の中に残っていた3つの成分N・K・Pが植物を成長させるための大きな3つの要素であるという原理が間違いではなかったということは、今や中学生 でも知っていることです。しかし、それは土壌の物理的な性質という一面であり、土壌のもつもう一つの面、生理学的生命が無視されたとも言えるのです。植物 の灰を分析し、それと同じ量のNKPを散布すれば植物の成長のための栄養が強化され、そうすれば収穫量が上昇するという考え方です。この考え方に基づき、後の化学者により窒素肥料、カリ燐酸肥料が製造され、畑にまかれ驚くべき成果-農産物の増収-を生みだしたのです。化学肥料をまけばまくほど成果は大きく なり、農業生産者は、競って化学肥料を大量にまき、またさらに大きな増収を得ることができたのです。
 リービッヒのために弁護するならば、リービッヒのこの原理は、後に続く科学者や研究者に誤用されたといったほうが正解です。リービッヒは、NKPを肥料 にとして大量に畑にまくという発想はなかったと私は考えています。誤用、それは土壌に対する考え方の違いでした。
 土壌は単なる土の塊ではありません。生物で満ち溢れているのです。
 一握りの土の中には、おびただしい数の生命が充満しています。生きている菌・細菌類、原生物たちが生活しているのです。
 肉眼ではまったく見えませんが、それらは生まれ、成長し、働き、そして土の中で死んでゆくのです。時に戦い、ある者は勝ち、ある者は滅びる。

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  さて、ここでミミズの話をちょっと致しましょう。ミミズは、新鮮な食べ物を求めて地上に出てきたり、また地下30cmから1mの深さまで食物を運び下ろし たりします。庭の落葉は、ミミズの活動が活発な時には一晩か二晩で消えてしまうことがあります。ミミズは腐食された落葉や土壌の一部を食べて、それを体を 通して養分に富んだ-植物の利用に完全に適した-土(糞)を残していきます。糞を分析するとその中には、窒素リン酸カリというような栄養物質を多量に含ん でいることがわかります。
 肥沃な土地約1000㎡について6トンを下らないミミズの糞(土)が毎年累積されるといわれ、また、ミミズの死体は肥料としてもかなり役立っているはずです。
このように土壌の自然な営みは、農業にとっての肥料工場を自ら作りあげているのです。植物たちは、この自然からもらった栄養分を吸収して花を咲かせ、実を ならせ、種子を残して、また新しい生命を生み出します。そしてまた、土壌から吸収された栄養分は、植物に吸収されたのと同じスピードで再び自然の肥料工場 (土壌の中)で再生されます。 これも循環のひとつです。

 会員の皆様には、ミミズの好きな方は少ないと思われますが、ミミズは土壌を肥沃にするためによく働き、また、活躍しているのです。
化学肥料の中でも硫安というものがありますが、これを使用するとミミズ類を全滅させることはよく知られています。ミミズ、健康な土壌づくりの偉大な調整者がいなくなってしまった畑。それにかわる有効な何かを化学農業は土壌に提供しなかったのです。
NKP以外にも多くの化学肥料が考えられ、作られ、そして畑にまかれてきました。それによって、確かに植物の成長は促進され、増収を得ることもできました。しかし、そのことによって土壌の弱体化が始まり、土壌の循環のサイクルが失われたのです。

 化学農業の発展に伴う土壌の弱体化は、自然の反逆を招きました。
土壌の病気です。その最大の病気は、土壌浸食という形で現れました。肥沃であったはずの土壌を、ほとんど休耕することもなく、化学肥料を投入し続けて耕作し続ける・・・。
こうした自然の法則を無視した農業は、アッという間にやせた土壌をつくりだしました。土壌が砂へと変じていったのです。
気候は乾燥して息苦しいものとなり、泉は水が減じ、そして枯渇してしまう、という砂漠化の現象です。土壌の肥沃度が降雨量と大きな相関関係にあることもよ くわかります。その土壌がどれだけ水をつかまえることができるかということなのです。砂は水をそれほど多くつかむことができないことは、皆様ご承知のこと ですね。
さらに土壌の病気は、次に多くの病原菌や害虫などの発生を生み出しました。
そして化学は、その対策として農薬を作り出すこととなったのです。

土壌の弱体化 → 植物の弱体化 → 病気や害虫の発生 → 農薬の散布

という悪循環の農業がはじまりました。
農薬は、病原菌や害虫の駆除には、まさに画期的に有効でした。
しかしそれは、病原菌や害虫の耐性の強化という反撃を受け、農薬はますます強力なものとなり、また耐性が強化されるという、別の悪循環も生んだのです。そ して、強力な農薬は害虫だけを退治したのではありませんでした。豊かで肥沃な土壌を作るために活躍していた、多くの生命体をも退治してしまったのです。土 壌は協力者を失い、孤立してしまいました。

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 有機農業は、人類生命否定の論理である。その考え方に一理あると思います。
確かに、地球上のすべての人間に、今現在十分な食料を提供することはできないでしょう。しかしながら、化学農業にあっても、今、世界中でその限界をはっき りと見せています。化学農業が、現在から将来に対して、人類に食料を提供できないであろうことは、私が言うでもなく多くの人々が気づいていることです。
  有機でもなく、化学でもなく、次は何なのか。バイオ農業なのでしょうか。 一本の木に何百個ものトマトを実らせる農業なのでしょうか。NKPを水に混ぜて、その水を吸わせて育てる水耕農業なのでしょうか。

 今、私たち人間は立ち止まり、農業とは何かについて考えねばなりません。私たちはその方向を定める大きな分岐点に立たされているということは、間違いのない事実なのです。

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