1993年の米不足の折、外国からの輪入米に対して「輸入米はまずく、安全性にも不安がある」ということがよく言われ、また多く論じられたことは、 会員の皆様にもご記憶のことと存じますが、英国のある会社が出している世界の農薬や化学肥料の販売のレポートによりますと、日本の水田面積は、世界の 1.4%に過ぎないのに、世界中の稲作用に売られている農薬の47%に当たる量が使用されている。また、農地面積は世界の0.3%しかないのに農薬は全消 費量の15%が使用されているとの報告(国連食糧農業機関、FAO)があります。さらに化学肥料については単位面積あたり世界平均の4.4倍も使用されて いることが報告されています。
これら外国のレポートによるまでもなく、日本の農業が化学肥料や農薬多投型の農業であることは、平成3年(1991)版 農業白書「農業生産と環境のかか わり」の中で次のように指摘されていることからもよく解ります。
(原文ママ)一部括弧内補足
農業生産活動は、環境の良好な状態で維持し、物質循環等の働きを通して国土や環境の保全に寄与するという機能を有する一方で、資材等(解説:化学肥料、農薬のこと)の外部からの投入によって環境に負荷を与ええるという一面もある。
わが国ではかつて作物残滓、堆きゅう肥の農地への還元など、狭い地域の範囲内で物質循環の流れを活用した農業が行われていた。(解説:有機農業のことを 言っている)[中略]だが、その後農業、化学肥料の投入量が昭和40年代から大幅に増加する一方で、畜産農家、耕種農家の専業化が進み、両者の分布地域に 偏りが生じてきた等を背景に水稲作をはじめとして農作物の残滓堆きゅう肥等の農地への還元が減少してきている。さらに石油などエネルギーの投入(解説:ハ ウス栽培で石油を使って暖めること)、輸入飼料が増加するなど、農業をめぐる物質循環の範囲が拡大するとともに農業生産が外部から供給される資源に大きく 依存されるようになった。
少しわかりにくい文章と思われますので要約すれば、
もともと農業とは、大気、土壌、水系、生物相など、環境をめぐる大きな物質循環の流れの中にあり、この循環の流れを巧みに利用して食糧の生産を行う、工業 とは異なる特色をもつ生命産業である。その物質循環の流れを化学肥料、農薬、エネルギーを多量に使用することによって、自らその流れを破壊、汚染している のが今の農業の現状である。という内容です。さらに白書には、「病害虫の発生状況、作物・土壌の状態に応じた防除や施肥を行わずに化学合成の農薬や肥料へ の依存を強めることは、過度に環境に負荷を与えることにつながり、また、水田における水管理の不徹底により、農薬・肥料の河川等への流出も懸念される。さ らに堆きゅう肥、稲わら等の有機物の農地への還元の減少は、地力の低下につながるおそれがある。また、家畜の糞尿についても畜産経営における飼料規模の拡 大等にともない排出量が増大し、一部地域においては、その不適切な処理に起因する悪臭、水質汚濁等の環境問題の発生がみられる。」とも記述されています。
現実は、「懸念される」とか「おそれがある」などという生やさしいものではありません。農薬は水道水源を汚染している元凶であり、化学肥料頼りの安易な農法が地力を低下させていることは明らかな事実なのです。
本年、1995年に発足する世界貿易機構(WTO)のもとでの最初のラウンド(多角的貿易交渉は、環境と貿易をテーマとするグリーンラウンドになると言われています。
環境を守るために貿易制限をどの程度まで認めるかのルールづくりです。過去のウルグアイラウンドの中で日本の農業、特に稲作が環境保全に果たす投割の重要 性を強調してきた日本の出番と言えます。これまで押され放しだった日本の農業関係者は今度のラウンドで環境保全の立場から農産物貿易のあり方を見直すこと ができるのではないかと期待しているようですが、それがどうもそうはならない雲行きです。WTOに派遣され、最近帰国された農水省の方の話によると、新し いラウンドでは、日本の水田が世界の環境に重大な影響を与えているということが問題にされる可能性が大きいと述べられました。この話の意味するところを説 明すると作物の生長を支えているチッソ肥料の環境への影響です。施肥されたチッソ肥料のおよそ0.3%が地球温暖化への温室効果をもたらす一酸化ニチッソ (温室効果ガスの一種にあたる)となって大気中に放散してゆくとみられています。これは膨大な量とみておかねばなりません。
10アールあたりのチッソ施肥量は、日本が13.7kgで世界平均の5.4kgのおよそ2.5倍の量で、特に水田における水に溶けた一酸化ニチッソは、先 にお話した0.3%ではなくそれ以上に大気中に放散されている可能性が高く、地球の環境保全の見地から日本の出番どころの話ではなく、世界から非難される 可能性が大であるということなのです。
昭和40年代から始まったこのような日本農業の構造は、狭い耕地面積をフルに利用しながら生産性をめいっぱい引き出し、農業生産を拡大するための、いわば 効率至上の農法が招いたものです。そしてその結果、世界で一番農薬と化学肥料を使用し、食べ物の安全性ということにおいて最も遠いところに位置している... ということが現実なのです。
環境保全型農業という見地からもヨーロッパやアメリカよりかなりの遅れが目立ちます。このことは、近い将来WTO(グリーンラウンド)で問題とされ、新聞 やマスコミによって初めて日本人の知るところとなるでしょう。その時に私たち日本人の多くの人がもっている、食べ物への安全神話がゆらぐでしょう。それが 思い込みとイメージであったことに気づくでしょう。さらに、目で物を食べるといわれるほど、見た目のよさにとらわれる日本人の好みに合わせ、流通サイドか らは鮮度、色つや、形に異常なまでの完全さが要求され、トマトでいえば22もの規格に分類され取り引きされている現状は、自然の産物をまるで工場の機械か ら鋳型にはめて生産しているかのようです。
このように食べ物は、見た目がよく、そして価格が安く、鮮度があればという考え方だけで評価され、消費されてきたのです。食べ物本来の安全性や美味しさ、 また農業と環境という本質的に大切なことを省略してきたのが日本の食べ物であり、日本の農業ではないでしょうか。輸入農産物の安全性を云々する前に、日本 の農業に関わっている多くの人々が反省し、環境汚染型農業から環境保全型農業への厳しい自己改善をしなければならないと思います。そのことが農産物市場の 自由化に対して、日本の農業が優位性をもつことができ、多くの生活者の支持を得ることができる道なのではないかと思っています。